- 2007年5月6日
- 梟
梟の意味6
ヘーゲルの梟=哲学の意味が前記の解釈通り「ミネルヴァの…」の言葉に込められているとすれば、哲学の役割を否定するものではないものの、哲学の登場は物事の終局場面になります。行動が先で理屈は後から着いて来る、と言うことでしょうか? 現実の社会は演繹的な論理だけでは成り立たないことは解りますが、論理のすべてが後付けであるとも言えません。行動と理屈のバランス、難しいですね。
ヘーゲルの梟=哲学の意味が前記の解釈通り「ミネルヴァの…」の言葉に込められているとすれば、哲学の役割を否定するものではないものの、哲学の登場は物事の終局場面になります。行動が先で理屈は後から着いて来る、と言うことでしょうか? 現実の社会は演繹的な論理だけでは成り立たないことは解りますが、論理のすべてが後付けであるとも言えません。行動と理屈のバランス、難しいですね。